広島・長崎・京都の旅
8月5日~12日にかけて広島・長崎・京都で平和学習の旅をしてきました。
広島と長崎へは大学一年生の夏にも訪れていて、その時はまだ知らないことがほとんどで衝撃の嵐だった記憶があります。今回は2回目かつ大学3年生になったということで衝撃の嵐ってことはありませんでしたが、それでもやはり感じるものは多く、1.2回訪れたくらいでは分からないこともあると痛感しました。
思い出したくもない当時の記憶を思い出し、わたしたち後世に伝えようとしてくれているヒバクシャの人たち・アジア諸国出身の被害を受けた人たち・周りが見えなくなって加害者になってしまった人たち、そして自分の時間を削ってまで発信しようとしている学生のアツい思いに触れて帰ってきて、それらを自分の中にとどめておくなんてもったいなくてできないし、直接彼らと話したからこそ生まれた責任を果たすためにわたしは文章にまとめて公開します。次のポストから日記形式で上・中・下と3つに分けて更新します。是非読んでみてください。
このポストでは、わたしが2年前に広島長崎を訪れることになった経緯、そして今回再び訪れることになった経緯、そして広島長崎の原爆投下についてを綴ります。
◇2年前
わたしは高校生のころから発展途上国の貧困問題に関心を持って、それに関する簡単な本を読み漁ったりしていました。大学に入学した直後は、そういう問題にアプローチしている国際ボランティアサークルに入ることを決めていました。しかし、わたしは自分の国の問題について何も知らないなあ、と気づき、偶然見つけた【広島・長崎講座】と呼ばれる授業をとることにしました。その授業は、最初から最後まで毎回の講義で、わたしの中の常識を覆し続けました。もう驚きとショックとで、その授業の後は毎回疲れていました(笑) と同時に知れば知るほど、高校までに出会った先生たちに、どうしてこんな大切なことを先生たちは教えてくれなかったのだろう。という怒りさえ感じました。そしてその夏、先輩に誘われて、毎年夏に広島と長崎で平和学習をしているサークルに誘われて、初めて現地を訪れることになりました。
実際に訪れて、平和資料館で見たものはもちろん、日本は加害の歴史もあるということや、広島・長崎の小中高生は原爆の日が登校日ということ、普段から平和学習という授業があることなどに衝撃を受けたのを覚えています。また、ある語り部さんの被爆体験を聞きに行ったときに、一緒に聞いていた宮城からの高校生たちがみんな号泣しているのを見て、自分の家族の死を考えたことのある彼らはどこかヒバクシャに共感できる部分があるのだと感じ取り、わたしには入っていけない厚い壁というか初めて自分が当時のことを創造だけで語ることの限界を知りました。
◇今年
今年は戦後70年。これはぜひとも行きたいと去年からずっと考えていました。去年は行かなくて、それに後悔したことは無かったけど、やはり行かないと忘れていってしまうことが多くてその恐怖と2年間戦ってました。あのとき受けた衝撃が自分の中でどんどん風化していくのが怖くて、なるべく機会を作って友達や周りの学生に共有するようにしていました。それでも、自分の中では想像できる範囲がどんどん狭まっていくのを感じていました。その一方で、特定秘密保護法から始まり集団的自衛権行使容認、憲法解釈改憲、安保法案などなど...戦争体験者が口々に「戦前に戻ったみたいだ」と言っているのを聞いて、これは行かなければと思い、行きました。
◇原爆投下について
広島 8月6日 8時15分
長崎 8月9日 11時2分
広島に落とされた原子爆弾は、ウランが原料で付けられた名前はリトルボーイ。長崎に落とされた原子爆弾はプルトニウムが原料で名前はファットマン。どちらも核融合で爆発する水素爆弾と違って、核分裂で爆発します。
どちらもたった一発で、それぞれの地で数えきれないほどの人が亡くなりました。先日NHKで放送された番組があるので、是非、ぜひきのこ雲の下で何が起きたかを見て見てください。
広島長崎だけでなくても、戦争は、その時代を生きた人たちを、戦時中だけでなく戦後何十年も、もしくは死ぬまで苦しめ続けます。被害者・加害者問わず、です。
今年は戦後70年には変わりありませんが、この70年間苦しめられ続けている人が日本人だけでなく、朝鮮から連行されてきた人たちや、原爆を落とした側に当たるアメリカの人たちの中にもたくさんいます。戦争はまだ、一概に終わったと言いきれません。
戦争は、歴史の中の一つとして、一つの出来事として捉えられがちですが、その時代を生きてきた人たち1人1人に目を向けていく必要があると思います。どんな経験をして、どんな思いを持って、どう生きてきたのか。彼らの話に積極的に耳を傾けていく必要があると思います。
なぜなら、戦争体験者が年々減ってきているからです。ヒバクシャの平均年齢が80歳を越えました。つぎ戦争しそうになったとき、戦争の惨さを語り止めてくれる人が居ないという状況はもう目の前です。
戦争の始まりは、平和の追求の延長線上のような気がします。誰もが平和を望むのは当たり前です。ただ、自分の平和を求めるあまり、周りが見えなくなってしまったとき、戦争や人殺しに手を染めてしまうことがあるのではないでしょうか。
そういったときに、経験を以って止めてくれる戦争体験者が居ないことが怖いのです。だから、わたしは戦争体験者に耳を傾け続けるし、なるべく自分で足を運ぶし、怖くても辛くても泣きたくなっても自分事のように捉えられるように想像力を働かせるのです。
自分が自分の手で平和を追求できるように、です。戦争はもう御免です。二度と同じことは繰り返させません。核は要りません。武器も要りません。平和はわたしたちの手で作り上げます。
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