ちょいとまとめ


今年の夏休みは、所属しているボランティアサークルとしての活動に何一つ参加していない。特に距離がおきたいとかいう訳でもないが、貯金がしたかったので。おかげさまで仕事に追われることもなく、大学生3年生にして初めて ”暇だ!” と無意識に口から出た。

そして、あらゆる社会問題に向き合うことも意図的に避けている。楽しいことばかり考えて、座学は久しくしていない。新聞も読んでいない。ニュースも見ていない。ちやほやしてくれる男性のことを考えてみたり、その人にわたしはどう思われているのかとか、次会うの気まずいなあとか、そんなくだらないことを考えてみたり。

その代わり、普段はあまりしないアルバイトをして、お金を稼いで、そのお金で旅に出ている。要するに今年の夏休みは、アルバイトをしているか、旅に出ているか、のどちらか。


アルバイトでは、まさに変えられないと思いこまれている社会構造の渦に巻き込まれた人たちを横目に、わたしは見て見ぬふりをしてトラブルを避けるように働いている。正直心の中では毎回、その渦の畔で泣いている。こんな悲しい社会が嫌で泣いている。変えられるのに、変えるという選択肢の存在に気づかない、またはその選択肢がない人のあまりの多さに悲しくなって泣いている。


それを忘れるために、格安で旅に出る。

旅先で出会うのは、そういった悲しい社会とは別社会で生きる人々。海外の人だったり、地方の人だったり、若者だったり、お年寄りだったり。

彼らの居る社会は、わたしを泣かせる社会よりもずっと前からあって、ずっと続いている社会。ずっと同じ枠を持つ社会なのに、その枠は自由自在に臨機応変に形を変えることができる。だから、その枠の中の人は足を伸ばしたり、腕を縮めたり、ひじを突き出しても、社会がそれに対応してくれる。誰も無理はしない。


わたしを泣かせる社会は、彼らの居る社会のずっと後に、”造られた”社会。造られた枠は堅くて曲がらない。柔軟性はゼロ。伸縮性もない。だから、ちょっとはみ出ようとすると痛い目を見る。みんな無理して歯を食いしばって中に留まっている。しかも、一度入ったら出たくても出られない迷路のようで、且つシンプルな構造になっている。



わたしは、良いのか悪いのか分からないが、どちらの社会にも入っていない。だから、どちらが現実なのか分からなくなった。アルバイト三昧で、心の中で泣きながら働いてお金を稼ぐ生活が現実なのか、旅に出て都会にはない地方の温かさに触れてぬくぬく生活するのが現実なのか。

これまでは、アルバイト三昧の日々が現実で、現実逃避するために旅に出ていた感覚であったが、最近は違う。旅先の生活が現実で、ちょっと我慢して嫌な生活をしに家に帰っているような感覚である。

わたしのベースはもう都会での生活ではなくなった!!!なんと!!!


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